思考のループに囚われる必要はない
思考のループに気づいたとき
コードレビューでコメントがついた。「この設計、変更に弱くないですか?」
最初は「ああ、確かに」と思う。でもそのあと、なぜか止まらない。 「なんでこんな設計にしたんだろう」「他のメンバーはもっとうまくやるよな」「自分、エンジニアとして向いてないかも」。 気づいたら、もとのレビューコメントとは全然関係ない場所にいる。
障害対応のあとも似たようなことが起きた。 インシデントを収束させたあと、ほっとするより先に「自分がもっと早く気づいていれば」という考えが湧いてくる。
こういう思考のループ、エンジニアなら一度や二度は経験がありませんか? そして「どうにかならないか」と思ったこともあるはずです。
解決方法を調べていくうちに、「幸福になりたいなら幸福になろうとしてはいけない」という本を見つけ、良さそうだったので読んでみました。 この本はACT(アクセプタンス&コミットメント・セラピー)という心理学のアプローチを紹介していて、その中に「思考に飲み込まれる」という現象を説明する概念がありました。
思考が「事実」に見えてしまう
「自分はダメなエンジニアだ」という思考が浮かんだとき、その思考をどう受け取っているでしょうか。
多くの場合、まるで事実のように感じられて、信じこんでしまいます。
頭の中では「ダメなエンジニアである自分」が実体を持って存在していて、それを否定しようと「そんなことない」と反論してみたり、どうしようもない気持ちになってしまったりします。
ACTでは、この状態を「フュージョン」と呼びます。 思考と自分が融合してしまっている状態、思考の中に飲み込まれている状態、という意味です。
フュージョンしているとき、思考は「自分が見ているひとつの解釈」ではなく「絶対的な事実」になっています。 切り取られたニュースの見出しが、事件の全体像であるかのように感じられてしまうのと似ています。
フュージョンしていると現実から切り離されてしまう
フュージョンしている状態では、現実よりも思考の中に引き込まれていきます。目の前の仕事よりも、頭の中の「ダメなエンジニア像」がリアルになっていく。思考が現実の代わりになってしまっている、とも言えます。
たとえばレビューコメントへの返答を書こうとしているのに、「自分はダメだ」という思考が頭を占領している。返答を書くための思考リソースが、自己批判の処理に取られていきます。
さらに厄介なのは、この「ダメなエンジニア像」を消そうとすればするほど悪化することです。
この思考に対処しようとするとき、人は大きく2つの戦略を取ります。「闘争」か「逃走」です。
闘争戦略とは、思考に反論する戦略のことです。「そんなことない」「自分はダメじゃない」と否定しようとします。でも反論するためには、思考を頭の中で保持し続ける必要があります。格闘するほど、その思考は頭の中で幅を利かせていく。
逃走戦略とは、その思考が浮かびそうな状況を避ける戦略のことです。コードレビューを先延ばしする、発表の機会を断る、比較されそうな場に出ていかない。一時的には楽になります。でも最終的には、自分が納得できないうんざりするような結果になってしまいます。
どちらの戦略も、思考を「対処しなければならない問題」として扱っています。そうやって問題として扱い続けるほど、思考の存在感はかえって増していきます。
フュージョンしている間、自分は思考の世界の住人になっています。現実の仕事は続いているのに、そこに全力を向けることができません。
思考を消すのではなく、眺める
脱フュージョンは、フュージョンの逆です。思考から距離を取ること、思考に巻き込まれず一歩引いて眺められるようになること、を指します。
ポイントは「思考を消そうとしない」という点です。
エラーログを眺めるイメージが近いと思います。エラーが出たとき、そのログを「自分への攻撃」として受け取ったりはしませんよね。「こういう出力が来ているな」と眺めて、原因を探す。エラーそのものを消そうとするのではなく、発生している事実として受け取ります。
思考に対しても、それと同じ関係を持てるようになるのが脱フュージョンです。 「自分はダメなエンジニアだ」という思考が浮かんだとき、それを「事実」として受け取るのではなく、「そういう出力が来ているな」と眺める。
試してみたこと
脱フュージョンには具体的なテクニックがいくつかあります。本に書いてあったことのうち、自分が試してみたものを紹介します。
- 「私は自分が〜と思っていると考えている」と言語化する
「自分はダメなエンジニアだ」と思ったとき、そのまま受け取るのではなく「私は自分がダメなエンジニアだと思っていると考えている」と言い換えてみます。
やってみると、わずかに距離ができる感覚があります。 思考を「自分の状態」として受け取るのではなく、「頭に浮かんだ何か」として扱える気がする。 慣れないうちはわざとらしいけれど、それでも少し楽になります。
- 「また来たな」と眺める
同じ種類の自己批判が繰り返し浮かぶことに気づくと、「またこの思考が来た」と認識できるようになります。 初めて来た新しい事実ではなく、繰り返しやってくるパターンだと気づくと、少し落ち着く。
どちらも、思考を「なかったことにする」ためのテクニックではありません。 「思考は浮かぶもの」として受け取りながら、それに飲み込まれないための練習だと思っています。
おわりに
「自分はダメなエンジニアだ」という思考は、消えません。消そうとしても消えない。
でも、思考は事実ではない。
浮かんでくる思考と、現実の自分の仕事は別物です。 その距離を保てると、思考のループに体力を持っていかれる度合いが少し変わってくると感じています。
この記事で書いたことはACTという心理療法のアプローチに基づいています。 より深く知りたい場合は「幸福になりたいなら幸福になろうとしてはいけない」(ラス・ハリス著)を読んでみてください。 脱フュージョン以外にも、「価値観に基づいた行動」「接続」「拡張」といった、生きていくうえで使えそうな概念が整理されています。
タイトルは胡散臭い自己啓発本のようですが、内容は実践的だなと思いました。